縮小都市データベース

大川村

龍谷大学政策学部 服部圭郎

大川村は高知県の北部、四国山地にある村で、愛媛県と県境を接する。村内を西から東に向かって吉野川が流れている。かつての村の中心部は、この吉野川に建設された早明浦ダムによって水没した。このダム工事は1963年に着手され、1975年に竣工した。さらに、村の主要産業であった銅山であった白滝鉱山が閉山(1972年)したこともあり、1960年には4114人の人口を擁したが、2020年の国勢調査では366人と島嶼を除けば奈良県の野迫川村に次いで人口が二番目に少ない自治体となった。ピーク時から9割以上の人口が減少したというのは夕張市クラスの人口減少自治体である。2000年からの20年間でも人口は36%も減少しているが、これは高知県の他の自治体ではより減少率が高い自治体もある(大豊町、東陽町、仁淀川町など)。

大川村の人口推移

人口ピラミッドをみると、15歳からガクッと減るのが分かる。これは、同村に高校がないからだ。そのため、高校の時にほとんどが村を出るそうだ(役場での取材結果)。村から一番近い高校は本山町にある嶺北高校であるのだが、そこに進学する学生は多くなく高知市にまで行くそうだ。加えて、中学を卒業した子達は村を出ると、村に戻ってくるということはほとんどないそうだ。それは雇用が少ないからである。

一方、25歳でちょっと増えているが、これは近年、地域おこし協力隊らの移住者が増えているからだ。あと45歳から65歳にかけて男性の方が女性より多い。1960年のピーク時に生まれた人も既に60歳。この人口ピラミッドの構造からすると、女性は村外に出たが、男性は出なかったのであろうか。

大川村の人口ピラミッド

1980年からの社会増減・自然増減をみると、ほぼ一貫してマイナスであるが、散発的にプラスの年がある。これは人口が少ないために、年ごとの分散も大きいからかと思われるが、最近、社会増がみられている。これは、地域おこし協力隊のリクルートに成功しているからかと推察される。ただ、地域おこし協力隊は最長で三年であるため、なかなか人口の定着にはつながらない。

大川村の自然増減・社会増減

大川村での就職先は役場、農協、森林組合、社会福祉協議会、郵便局、小学校の教員。大川村の産業は畜産業と観光業。地域経済で成立するような地域産業は皆無に近い。そもそも、この山中に人々が集まったのは銅山があったことと林業が盛んであったからだ。前者に関しては、大川村にあった白滝銅山は四国では三番目の産出量を誇っていた。不交付団体の年もあったそうであるから、今からは隔世の感がする。林業に関しては、大川村だけに限った話ではないが、木材の値段が下落し、やればやるだけ赤字になるという構造不況に陥ってしまった。そして、ほぼ山林の大川村では農業に活路を見出すことは難しい。

大川村は人口が少ないので、のんびりできるのではないか、というイメージを抱くかもしれないが実態は逆であるそうだ(役場への取材結果)。というのも人口が少ないので、少ない人口で村の仕事を回さなくてはいけないからだ。自分の仕事ではなく、コミュニティの仕事に追われる。村役場には23〜24人ほどの職員がいる。これは全人口の6.7%が公務員ということで凄い割合の高さではあるのだが、逆にこの人数で全部の村の仕事を回さなくてはならない。少ないからといって仕事の数が減る訳ではない。ただ、職員は全員、村民だそうだ。これは、群馬県の南牧村や京都府の笠置町といった人口縮小自治体とは大きな違いであるし、それだけ僻地ということかもしれない。この村に住まないと、いざという時にかけつけなくてはならないことが大きな理由だそうだ。

縮小都市というと「買物難民」の課題がついてくるかと思うが、大川村には農協の移動販売車が入ってきていることもあってそれほど深刻な問題とはなっていない。村内にはコミュニティ・バスという荷物と人が乗せられる交通サービスもある。また、食材は難しいがネットショッピングを使う人は多いそうだ。

村役場

村の将来ビジョンとしては、村長は400人の人口を維持するとの目標を掲げている。移住・定住政策としては、土佐はちきん地鶏事業で雇用を生むことに成功している。土佐はちきん地鶏はブランド地鶏で、ここ15〜20年ほど注目されている。それ以前は大川黒牛。それらを知ってもらうために謝肉祭を行っている。観光産業としては、観光資源としては山がある。いくつか登れる山があるので登山をどうにかできないか。あと、ダム建設をプラスに取り組むようにして、ウォータースポーツやワカサギ釣りなどを展開できればと考えているそうだ(役場の取材結果)。キャンプ場もある。観光も一つのコンテンツでは難しいのでツアー化したいと考えているそうだ。

社会増で人口を維持するための最大の課題は、それらの人が住む家がないということだそうだ。空き家は多くある。しかし、それらは老朽化していてとても住むことができない。空き家の調査はしているので、持ち主は分かっているところが多い。意外と持ち主は近場に住んでいる。すぐ住めそうなところに関しては、役場としては持ち主と交渉したのだが、一軒ぐらいしか使わせてもらえなかった。これは、しっかりと管理されている空き家は、それなりに持ち主のニーズがあるからだ。一方で3年ぐらい放っておかれるとあっという間に風化してしまう。それでは、移住してきた人はどこに住むかというと、村営住宅に入る。学校のそばとかに公営住宅もある。これら二つを合わせると39戸。家賃は収入によって変動するが、1万円から6万円ぐらいの範囲である

ということで、人口が最小か二番目に最小の自治体、大川村を訪れ、そこで得られた情報を簡単に整理をした。そもそも人が住んだ歴史が浅く、銅山で人が集まってきた訳なので、銅山が閉山するとここに住む理由がなくなる。また、ダムでそもそもの村が沈まされた。昔の役場は今、ダム湖の下に存在して、渇水の時には姿を現したりもする。そもそも少なかった平地の中でも、人が生活しやすい部分はダム湖に沈んでしまった。林業が復活できれば、またここに住む人々も増えるのかもしれないが、前途は明るくはない。いろいろと人口減少という政策課題の難しさを抱えた村である。

Twitter Facebook

関連記事