縮小都市データベース

尾道

横浜国立大学教授 松行美帆子

尾道市は瀬戸内海に面する人口14万人弱の都市である。江戸時代には北前船が寄港することから、瀬戸内海随一の商港都市として栄えた。尾道市は1980年代から90年代にかけて映画の舞台となったり、作家ゆかりの地として、映画と文学のまちとして注目され、また坂のまちとしても知られ、加えて近年はしまなみ街道でのサイクリング客も訪れ、広島県の一大観光地となっている。その一方で、人口は減少傾向にあり、合併前の旧尾道市では1975年をピークに人口が減少し続けてきた。

その斜面地が現在観光名所となっている山手と呼ばれる地区は、尾道三山の斜面地であり、もともと寺と神社しかなかった。明治末期から昭和初期にかけて、ここに豪商たちが「茶園(さえん)」と呼ばれる別荘住宅を建て始め、その後に、洋館や旅館建築、長屋建築など様々な時代の様々な様式の建築物が建てられ、現在の独特な斜面地の景観を形成していった。戦災にあわなかったこともあり、それらの建築物の多くは現在築40~100年を超えて現存しているが、接道義務を果たさないことから、建て替えができない物件が多く、かつ斜面地のため車が入れず、改修費は平地の3倍にもなる。そのため、多くが空き家として放置されており、所有者も、市も手をこまねいている状態であった。

現在、この山手地区を中心に活動しているのがNPO法人尾道空き家再生プロジェクト(通称:空きP)である。山手地区の空き家の再生からスタートし、現在まで約20件の空き家の再生を行った。2009年には空き家バンク事業を尾道市より委託され、委託後8年間で空き家バンクでマッチングした物件は80件にも昇るようになった。その結果として、山手地区に移住者が増えたばかりではなく、パン屋、カフェ、陶房などもでき、居住者だけではなく、観光客にとっても魅力が増していった。移住者は20-30代の夫婦が多いとのことであり、高齢化の進んだ山手地区において、若い移住者が入り、放置されている古い建物が改修されることにより、新たなコミュニティが生まれていると言えよう。

山手地区での空き家の再生は、その斜面地にあり、かつ車でのアクセスが難しいため、業者に頼むと非常に高額になる。かつ、山手地区への移住者は、歴史ある個性的な建物に非常に安価で住める、賃貸でも改修が出来る物件もあることに魅力を感じて移住することから、セルフビルドで空き家の再生をすることがほとんどである。この移住者のサポートをしているのも空きPである。空き家に残された家財やゴミの搬出や資材の搬入、引っ越し作業などは、すでにいる移住者達や地元居酒屋の若者グループがボランティアで人海戦術で手伝う。そのほかに、職人からプロの技を教えてもらえるワークショップなどのイベント、空き家の家財道具を売る蚤の市の開催、改修のための行政からの助成金の紹介など様々な方法で空きPは移住者のサポートをしている。

空きPが委託されている空き家バンクでは、土日も対応するなど行政が管理していた頃より利便性は増したが、登録された空き家情報を見るには、一度尾道まで来る必要がある。他の自治体での空き家バンクの多くが、誰でもwebで登録された空き家情報を見られるのに対し、空きPの手法では、手間を惜しまず気長に自分の好みに合った空き家探しが出来る人に対象が絞られる。この気長さは、尾道の坂道や路地での生活にかかせないものである。セルフビルドという空き家再生の手法は、多くの手間や時間がかかる。また、車の入らない坂道での暮らしは、不便なものである。尾道の坂道や路地での暮らしには、気長さや、その不便さを楽しめるということが必要になってくる。そして、空きPは、その気長なセルフビルドや不便な生活を、サポートされる側もサポートする側も楽しみながらできる仕組みを提供している。

人口が減少している地域は、不便さが伴う地域が大部分であり、地域の再生に当たっては、誰でも良いので移住してきてもらうのではなく、その場所の個性に合った暮らしが出来る人、好む人に来てもらう必要がある。空きPは、まさに尾道の個性に合った人が移住をし、生活をするサポートをする仕組みを作り上げたと言えよう。

空きP豊田雅子氏、新田氏インタビュー(2016.9.28、2017.6.24)

参考文献

つるけんたろう(2014)『0円で空き家をもらって東京脱出!』朝日新聞出版

豊田雅子(2016)「エリアリノベーションの実践―尾道市旧市街地」『エリアリノベーション』学芸出版社

NPO法人尾道空き家再生プロジェクトHP、http://www.onomichisaisei.com/

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