縮小都市データベース

豊岡

龍谷大学政策学部 服部圭郎

概要

豊岡市は兵庫県の北部にある但馬地方の中心都市で、その人口は7万6743人(2021年8月1日:推計人口)である。市域の約8割は森林で、その中央部を円山川が南から北へと流れている。基幹産業は農林水産業、観光業であるが、カバンの製造地としても知られている。豪雪地帯であり、年間の平均積雪量は312センチメートルで、これは新潟市、金沢市、福井市などの北陸の都市よりも多い。2005年に平成大合併で、隣接する城崎町、竹野町、日高町、出石町、但東町とが合併する。

これら、旧市町村別に1920年からの人口推移を6つの時点でみると、豊岡市は1947年に人口10万人を越えた後は、緩やかに人口が減少していった。しかし、1995年から2015年には大幅に人口減少が進み、今後もその人口減のトレンドは継続されるのではと推察される。旧市町村ごとの人口推移をみると、1920年にもっとも人口が最大だったのは旧竹野町と旧但東町である。この二つの町は、現在は1920年当時に比べて人口が半数以下となっている。1947年時にもっとも人口が最大だったのは旧日高町と旧出石町である。この二つの町は前述した二町ほどは人口減少が激しくなく、現在の人口はピーク時からほぼ3割減となっている。1965年が人口のピークであったのが6つの旧市町村の中では人口規模が一番少ない城崎町である。城崎町は1965年以降はずるずると人口が減少していっており、現在はピーク時より44%人口が減少している。これら6つの旧市町村の中で、人口面では一人勝ちの状況だったのが旧豊岡市である。旧豊岡市は1920年の32455人から1995年には47742人と1.47倍も人口が増加する。しかし、1995年がピークでそれから2015年までの20年間では10%近くも人口が減少することとなる。

豊岡市の自然増減・社会増減の推移を1980年から2015年までみる。これより、自然減での人口減少が始まったのは1995年から2000年頃にかけてであるが、自然増減は1980年から5年単位で150人ぐらいで減少してきたが、このトレンドは現在でも続いている。社会増減に関しては、社会減の状態が続いていたが1995年と2000年はプラスになっている。ただし、2005年には再び転出者が転入者を上回るようになり、毎年400人前後が流出している。

社会増減のポイントなるのは年齢別でみると高校卒業後で、大幅な転出増がみられる。また、転入増となるのは20代後半である。ただ、男女ともに20代後半は転入が転出を上回るが、男性に比べて女性の方が転入の割合は少ない。

豊岡市の『人口ビジョン』の分析にもとづくと、若者の回復率は「概ね日本経済の不景気時に上がり、好景気時に下がる傾向が見られる」。「これらは、若い女性は景気の良し悪しに関わらず、一定割合で流出が続いているのに対して、若い男性は、好景気で大都市の雇用熱が高まれば本市の流出が進み、不景気で雇用熱が冷めれば本市の若者回復が進むという傾向があるためと考えられる」(p.11)と言及している。

前述した『人口ビジョン』によれば、転出先は大阪と京都が圧倒的で、関東圏は少ない。また、転入―転出をみても京都、大阪はそれぞれ185人、160人のマイナスとなっている。興味深いのは東京都や神奈川県に関しては、転入の方が転出より多いことである。兵庫県内の自治体とでみると、香美町、新温泉町、京丹後市、養父市といった周辺の豊岡市より人口規模の小さい自治体からは転入増となっているが、福知山市、朝来市といった京都、姫路により利便性が高い自治体とだと転出増であることだ。丹後地域での人口を収容するダム的な役割を担ってはいることが推察されるが、人口規模がより小さい福知山市への転出増は、その要因を分析することが必要かとも考えられる(一つは、福知山公立大学の存在もあるかと推察される)。

豊岡市の合計特殊出生率は2015年で1.71、2010年で1.94と兵庫県、全国よりも大幅に高い数字となっている。

政策のポイント

豊岡市のこれまでの政策はコンパクト・シティとまさに真逆の都市政策を打ち出していた。1990年代に、中心市街地の中核的機能を1987年に計画発表された但馬空港が立地する南西部側の郊外に移転するという計画を打ち出した。具体的には総合病院と市役所が移転することが検討されたが、結果、総合病院のみが2005年に移転し、市役所は中心市街地に残ることとなる。病院の移転計画は1993年につくられたが、市町村合併の話などが出てきたために遅れたようである。

市役所は中心市街地にそのまま残ることになった

現在、中心市街地の目抜き通り大開通りはほぼシャッター商店街であり、金曜日のお昼の時間帯で営業している商店は3割以下ぐらいである。「ふれあい公設市場」という歴史ある公設市場があるのだが、ここは2003年4月に全店舗に庇を取り付けてとてもいい感じになっている。そこでお店を出しているおばさんにお話を聞くと、大開通りがシャッター商店街になったのは、病院移転が一番の原因であり、今井市政を強く批判していた。

ふれあい公設市場

しかし、一方で普通の市民はそれほど、この移転に対しては反対意見を有していなかった。自動車で移動する生活をしていれば病院がちょっと離れた郊外に立地してもアクセス的にはほとんど問題がなく、むしろ十二分な駐車場、道路混雑がないような場所に立地していた方がむしろ便利と感じているようであった。市役所も現在地は水害において浸水する可能性も高いので、むしろ病院のある高台の方が安心なのではとの意見も出ていた。

豊岡市の人口減少問題への対策として注目されるのが、平田オリザを学長で迎える芸術文化観光専門職大学が2021年4月に開校したことである。定員が80名の極めて小規模な高等教育機関ではあるが、若者を受け入れる器が出来たことは、前述したように、この世代が大幅に転出する状況においては大きなプラス要素になるのではと考えられる。この芸術文化観光専門職大学は中央駅や中心市街地からも近い場所に立地しており、中心市街地の賑わいを創出することにも多少は貢献するのではないかと考えられる。

豊岡といえばコウノトリと共生する事業で知られている。市役所には「コウノトリ共生部」という部署がある。

【参考ウェブサイト】

「コウノトリと共生する農業とまちづくり」(村山直康)

http://www.jiid.or.jp/ardec/ardec44/ard44_key_note3.html

「豊岡市人口ビジョン」(豊岡市)

https://www.city.toyooka.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/009/378/koushin.pdf

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