縮小都市データベース

笠置町

龍谷大学政策学部教授 服部圭郎

京都府の南端に位置する笠置町はその8割が山という山間に広がった町である。町を東西に木津川が流れ、古くから信仰の対象となった笠置山が町のシンボルである。山頂にある笠置寺は後醍醐天皇の行在所(あんざいしょ)として知られてる。巨石が多く、最近ではボルダリングの名所として人気が出始めている。

木津川沿いには関西本線が走り、笠置駅が存在する。しかし、鉄道の運行頻度は1時間に1本という少なさで、電化されている隣の加茂駅とはその運行本数に大きな差がある。小学校は笠置小学校があるが、中学校は名前こそ笠置中学校であるが、それが立地しているのは隣の南山城村である。

笠置町は1940年の人口は2595人であったが第二次世界大戦後の1947年には3344人となる。ただし、これ以降は一貫して人口は減少していき、2015年は1465人、2021年の推計人口では1095人(8月)となっている。これは、京都府では最も少ない。2014年には出生数0人を記録している。人口の少なさでは、福島の原発事故の影響を受けている自治体を除くと山梨県早川町に次いで少ない。高齢化率も50%を越えており、数字だけをみれば、その将来を案じさせる。人口減少率は1995年まではほぼ5年間で5%程度であったが、21世紀になってから10%程度に加速しており、人口減少の勢いが止まらなくなっている。

笠置町の自然増減を2011年以降、みると常にマイナス。2017年以降は30人以上とそれまでより自然減の絶対数が増えている。一方の社会減は2017年と2018年は10人以下と少なくなったが、再び2019年は30人以上となっている。

笠置町は2014年に「人口ビジョン」を発行している。それによると合計特殊出生率は極めて低く2011年から2013年は1以下となっている。これは、結婚する若い女性の割合が低いと同報告書では分析している。30〜34歳の有配偶率は20.8%であり、これは京都府の56.1%に比べて極端に低い。また、社会増減に関してだが、5歳刻みのほとんど全てにおいて社会減となっている(2013年のデータ)。これは、他の都市が大学等の進学で15〜19歳では社会減となっても、20〜24歳ではプラスとなるといった現象もみられていないということで、深刻な状況にあることが推察される。唯一の例外は60〜64歳と65〜74歳でそれぞれ1、2のプラスとなっている。また40歳以降の転出は女性ではみられるが男性ではみられない。転出が多いのは25〜29歳というのも特徴であり、これは笠置町にこの年代が住むための家が供給されていないことが一つの要因であると考えられる。空き家が多くあるが、空き家バンク制度は外部のものには活用できても、自治体住民には使えないという課題があるようだ。笠置町の社会減の特徴としては、6割前後が府内で、そのうち4割ちょっとが隣の木津川市であるということだ。これは、前述したように若者の需要に合った住宅が笠置町内にあることが大きな要因である。笠置町の役場で働く人達も多くが木津川市から通勤をしているが、それはこれが理由である場合が多い。それ以外だと大阪府が多く、東京都は少ない。一方の転入だがこれも府内が6割近くであり、木津川が3割、精華が2割、京田辺が1割となっている。日常生活に関してだが、町内に通勤・通学しているものは37%近くになる。

笠置町には小学校はあっても中学校はない。中学校の名称は笠置中学校であるが、それが立地しているのは隣の南山城村である。多くの統計数字が、笠置町の置かれている状況が深刻であることを指摘しているが、実際、そこに住む町民はあまりその危機を実感していないようである。取材をさせていただいた笠置寺の住職さん(小林慶昭氏)は、「まるで徐々に暑くなっている鍋に入れられている蛙のようなもので、状況が悪化していても気づいていないのかもしれない」と述べていたが、数字の深刻さはそこで生活している人には実感をもって感じられていない。

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