縮小都市データベース

神山町(徳島県)

横浜国立大学教授 松行美帆子

徳島県神山町は人口5100人余りの小さな町である。神山町自体は山に囲まれ、緑豊かな環境にあるが、徳島市より車で約30-40分、徳島空港より車で約1時間と便利な場所に立地している。

 神山町の人口は昭和30年には2万人を超えていたが、年々減少しており、いわゆる過疎の町である。しかしながら、神山町は近年、地方創世の成功例として注目されている。その理由は移住者の存在である。神山町における年間の人口の社会増減数は2011年が27人の社会増なっているが、2010年以降、2011年を除いてはずっと社会減の状態である。しかしながら、毎年100名以上の転入者があり、20代、30代の若者がそのおよそ半数を占める(2013年から2017年の5年間の場合51%)。人口5000人ほどの町で、毎年およそ100人が転入し、その半数が20-30代であり、さらにIT・デザイン・映像関連企業など15社ほどのサテライトオフィスがあるとは、もはや過疎の町とはいいがたい状況である。

 しかしながら、神山町も元々はよくある過疎の町であった。1991年に戦前に日米友好のために贈られた人形をアメリカに里帰りさせる取り組みからその活動がはじまったNPO法人グリーンバレーが神山プロジェクトと呼ばれる、外からの移住者や企業を引き付ける取り組みを主に行っている。グリーンバレーは、神山町が目指すべき姿を「創造的過疎」としており、人口数ではなく、過疎の内容を変えることを目指している。すなわち、外部から若者やクリエイティブ人材を誘致し、人口構成を健全化し、多様な働き方を実現するビジネスの場としての価値を高めることによって、農林業のみに頼らない、均衡のとれた、持続可能な地域を目指している。

 神山町で、最初に移住者を呼び込んだのは1999年に始まったアーティスト・イン・レジデンスの事業であり、国内外からの芸術家に対して、宿泊・アトリエなどのサービスを有償提供することにより、芸術家の移住者が生まれるようになった。その後、神山プロジェクトと呼ばれる3つのプロジェクトが開始された。ワークインレジデンスを呼ばれる取り組みにおいては、商店街の空き家に現在では、ビストロ、カフェ、パン屋、ピザ屋、靴屋、総菜屋、ゲストハウスなどが開業している。普通の商店街での空き家の活用と違う点は、ただ単に空き家を開業希望者に提供するのではなく、町の将来にとって必要な働き手、起業家を逆指名して誘致し、町をデザインをしている点である。また、サテライトオフィスの取り組みでは、IT、映像、デザインなど働く場所を選ばない企業の誘致に力を入れており、古民家をリノベーションして、建物の外観が古いが、中身は最先端といったような、若者が魅力を感じる職場環境を提供している。また、厚生省の事業の一環として、神山塾という6か月の求職者支援訓練を実施しており、その修了生の約半数が神山塾に移住している。

このように、芸術家や起業家、サテライトオフィスでの働くクリエイター、神山町で店舗を経営する人などが移住することにより、新たな人の流れが生まれ、新たなサービスが生まれ、レストランなどが地元の農家の作物を使うことにより、地域内で経済が循環することが、神山町の地方創世戦略となっている。また、近年では町内のクリエイティブ人材を活用した高専の開設を目指しており、新たな人の流れが期待される。

神山町におけるクリエイティブな人材の誘致には、外部からの人の流入を拒まず、接待をするといったお遍路の文化的素地、空港や徳島市からのアクセスの良さに加え、行政ではなく、NPOが事業を実施したことであると言えよう。1991年の人形の里帰りの運動からNPO法人の設立まで、13年の月日がかかっている。この13年間の間に、少しずつ成功経験を共有しつつ、活動範囲を広げてきた。行政のプロジェクトであれば、短期間での成果を求められ、長期的に成功経験を蓄積できないが、民間で行うことにより、長期的な視点で事業を継続できたことが背景にあると言えよう。また、誰でも良いから来てもらうのではなく、神山町に来てもらいたい人材や店舗を神山町の側で設定し、町のデザインを行ったことが、長期的にクリエイティブ人材を招き入れるだけの町の魅力の形成に繋がったと言えよう。(2016.9.26NPO法人グリーンバレー大南信也氏ヒアリング)

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