縮小都市データベース

郡上市

名城大学名誉教授 海道清信

郡上市の基となった郡上郡は、1954年の町村合併法で2町(八幡、白鳥)5村(大和-1988年に町-、高鷲、美並、明方-1992年に明宝-、和良)になった。1958年に福井県石徹白村が白鳥町と越県合併、2004年にこの7ヶ町村が合併し郡上市が誕生した。市役所が置かれている八幡町は、16世紀末に八幡山に城が築かれ城下町の歴史が始まった。郡上市は、観光客も地元の人も一緒になって踊る「郡上おどり」と清流長良川で有名である。

 市人口は1950年頃より減少傾向となり、1950年65569人ほどあった人口は、2015年には420900人と30%以上の減少となった。最近の人口ピラミッド(図1)を見ると20歳前後の就職、大学進学時期の市外流出・社会減が著しいと推察される。ただし、5歳階級別で2005~2010~2015年の5年間毎のコーホート変化を見ると、20~24歳ではマイナス312人から34人へ、25~29歳ではマイナス443人から170人と20歳代の人口減少幅は小さくなっている。一般世帯数、Ⅰ世帯あたり人員は、14,137、3.55人(1990年)、14,683、3.30人(2000年)、14,552、2.81人(2015年)で、世帯規模の縮小傾向が見られ世帯数の減少が始まっている。ここでは、郡上市の中でも若者の人口減少幅が少なくなっていると推察される八幡地区と石徹白地区について概説する。

■八幡町における空き家への取り組み

 郡上八幡は「水縁都市」ともよばれる。町中の至る所に水路が流れ生活のなかでさまざまに利用され、最近では少なくなったものの井戸や水路の洗い場を中心としたコミュニティがあった。夏の約2ヶ月間繰り広げられる郡上踊りと水が、コミュニティにとっても重要な要素となっている。中心部を流れる吉田川(長良川支流)の北に広がる城下町部分(北町)は1919年(大正8)の大火災で、大部分の建物が焼失した。その後、袖壁を持った間口の狭い町家が連続する街並みとして再建された。防火意識の高い住民によって、多くの建物はその後良く保存され、北町の中心部は2012年に「郡上八幡北町伝統的建造物群保存地区」に指定された。いずれにしろ、郡上八幡では伝統的なコミュニティのつながりが強いが、八幡町の国勢調査人口は1980年188,13人が2015年には13,625人に減少し、その後、住民基本台帳(各4月1日)でも2015年14,332人、2020年13,245人へ減少している。ただし、世帯数(住民基本台帳)は2015年5,467から2020年5,460で、この数年は増加傾向となっている。

 2013年の調査では、八幡町の約3000棟のうち空き家は353軒で、その数は増加傾向にあり市の行政にとっても大きな課題の一つとなっている。八幡町における空き家対策は、郡上八幡振興公社(以下、公社)が中心的に担っている。2015年6月に公社内に専従職員も加わった「チームまちや」が設置され、郡上市と共同出資した空き家活用基金による「八幡市街地空き家利活用事業」を始めた。チームまちやの空き家利活用スキームは、サブリース方式である。空き家所有者から公社が賃借(10年間の定期借家契約)、賃料A→ 基金を用いて空き家を改修、改修費X→ 空き家の賃貸、賃料B。BをAよりも大きくして、その差額により10年以内でXを回収する。この方式では、空き家所有者にとっては、改修費用と管理に伴う煩わしさなど無しで少なくとも10年間は安定した家賃収入が得られ、その後はそのまま貸すことができる。入居対象者は移住者及び起業家に限定し、改修前に入居希望者と話し合って必要な工事を行うため、入居者にとっては改修費用無しで希望の工事ができる。サブリース期間は2年間の定期借家契約で2年ごとに再契約する。別途、1ヶ月から3ヶ月の滞在型の短期賃貸物件も提供しており、この中から定住に移行するケースも少なくない。空き家の利用目的は住居のみの場合と事務所や店舗の併用の場合がある。チームまちやの人件費は郡上市が負担している。

 チームまちやの役割は、改修、移住相談、入居者募集や物件管理だけではない。空き家所有者からの相談を受け、所有者の不安と負担を解消して利活用が進む一貫した役割を担っている。年に3回の空き家拝見ツアーと移住相談会、年に1回の「町家オイデナーレ」を開催し、空き家利活用の啓発と新規起業者との関係づくりを行っている。オイデナーレは、新規起業者のPRでもあり、2日間限定で空き家を飲食店などに転用してチャレンジショップ的な役割を果たしている。空き家の利活用によって、まちにとっては新たな移住者や店舗が増えて、コミュニティの活性化が図られる。2015~2018年度の4年間で、合計26件の空き家を改修・再生した。業種は、パン屋、整体業、木工工房、レストランなどで、定住者は59名、うち子どもが16名である。チームまちやの空き家再生事業の成功の波及効果として、まちの不動産業者による活動も活発となり、この数年で店舗だけでも30軒程度が新規開店した。また、公社が直接運営するゲストハウスがある。一方で公社が考えるいまの課題の一つは、立地条件が良く規模の大きな町家では、改修費用が高額となり10年間では回収できない事例があり、別途のスキームが必要と考えている。また単なる空き家再生にとどまらず、郡上八幡にふさわしいまちなみや業種、店舗をどのように育てていくかも、課題と考えている。

■石徹白地区のまちづくり

 郡上市白鳥町石徹白(いとしろ)は、北陸4県にまたがる白山の南山麓に位置している。中世(平安から鎌倉)の白山信仰が盛んな時代には、修験者が出入りし「御師」とよばれる白山信仰を広める人々の住むところでもあった。近世(明治)までどの藩にも属さず年貢免除・名字帯刀が許されたと言われる。地区内には西暦83年創建と言われる白山中居神社がある。標高約700メートルの髙地でスキー場もあり、豊かな自然環境も魅力となっている。白鳥町の中心部から自動車で約30分程度の道のりの奥まった集落であり、ここから白山まで登山道=修験の道が通じている。1980年の人口538人、世帯数152から、2015年には269人、108世帯となり人口は半減、世帯数は3分の2となった(住民基本台帳、各4月1日)。最近5年間では減少傾向は緩やかになって、2020年は247人、108世帯である。

 我々が取材させていただいた平野彰秀さんは、岐阜市で生まれ東大都市工学科を卒業し、務めていた外資系の経営コンサルタントをやめ、2008年に岐阜にもどった。石徹白とのつながりは2007年に小型水力発電施設を設置するプロジェクト支援で初めて訪問して以来である。岐阜市のNPO地域再生機構(2006年設立)の活動に参加し、2008年から13年にかけてJST(科学技術振興機構)の研究プロジェクトを推進し3機の小規模な水力発電設備を設置することに尽力した。このプロジェクトの推進は、石徹白の自治会長の地区の人口を増加させたいという熱意と意欲が牽引したという。この取り組みは、小さい集落による自然エネルギーの活用の先進例として全国から注目された。その後2014年にほぼ地区の全戸が出資して石徹白農業用水協同組合が設立され、石徹白馬場清流発電所を建設し2016年より運用している。

 平野さんは、2011年に妻の馨生里さんとともに石徹白に移住した。馨生里さんは、石徹白に伝わる伝統的な衣服をベースにした服作りとショップの「石徹白洋品店」を開設運営している。石徹白では、2011年より再開した農産物加工所での特産品開発、2009年より地元の女性達によって開設運営されているコミュニティカフェ「くくりひめカフェ」、自然を活かした「いとしろアウトドアライフヴィレッジ」による冒険の森やフィッシング、トレッキングなどの取り組みなどのさまざまな活動が進められている。2008年から16年までの8年間で13世帯32人の移住が実現した。2007年に設けられた「石徹白地区地域づくり協議会」が策定した石徹白ビジョンが掲げていたのは、「将来にも石徹白小学校を残す」というもので、地区住民にとっては現在も大きなまちづくりの目標となっている。郡上市は2017年度に『公共施設等総合管理計画』、2019年度に『公共施設適正配置計画』を策定し、社会教育施設、集会施設などの統廃合を進めている。石徹白小学校の児童数は、2003年の16名から2018年度には6名、2クラスまで減少した。同計画では、移住者が増加して児童数は2029年には12名に回復すると予測されており、石徹白小学校は小規模校として存続することとなっている。地区における小学校の存続は、移住者の増加をめざすさまざまな取り組みの成果であるとともに、今後とも若い移住者を受け入れる上では重要な地域資源となる。

参考資料

  1. チーム空き家「郡上八幡における空き家問題への取り組み」『なごやの住宅と住宅地』都市住宅学会中部支部、pp104-108、2020年
  2. 猪俣誠野・武藤隆治「郡上八幡における先進的空き家対策の取り組みとその課題」景観・デザイン研究講演集No.13 ,p451-454、2017年
  3. 柳田良造「岐阜県郡上市石徹白の農山村地域づくり」「『鄙に向かう人々-「暮らすこと」の楽しみをつくる』農村計画委員会研究集会資料、日本建築学会全国大会(九州)、pp36-43、2016年

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