縮小都市データベース
シュトラールズント (Straulsund)
龍谷大学政策学部 服部圭郎
メクレンブルクフォアポンメルン州で四番目に大きな都市。同州の北東部のバルト海沿いに位置する。歴史は古く、リューベック、ヴィスマール、ロストックとともにドイツ北部のバルト海沿岸のハンザ都市の一つである。旧市街地が2002年に世界遺産として登録された。ドイツの人気観光地であるリューゲン島の玄関口でもある。
人口の変遷をみると、シュトラールズントはドイツ再統一から一貫して人口が減少していたが、2010年の56875人を底に、そこから徐々に人口は増加基調にある。この人口増減は市を構成する8地区によって温度差があり、1999年から2013年の間に人口増減率をみると、アルトシュタットは3307人から5615人と69.8%ほど増加し、また南端の郊外地区は34.2%ほど増加している。一方、大きく減少しているのは二つのプラッテンバウ団地でグリューンフフェ地区は26.8%、クニーパー地区は12.9%ほど人口が減っている。人口減少率は低いものの、最大数の人口が減っているのはクニーパー地区となる(3725人)。

人口増減の推移を社会増減、自然増減で1999年から2013年までみると、毎年、ほぼ200人から300人ぐらいが自然減で人口減少していることが分かる。ただし、2003年までは相当数あった社会減が2008年ぐらいまでほぼプラスマイナスゼロで推移し、2009年からはむしろ増え始め、これが2010年以降の人口増の要因となっている。また、地区ごとに2001年から2013年の社会増減をみると、アルトシュタット地区は市外から多くの人が移住してきていることが分かる。市内に比べると市外が5.5倍と多い。また、自然減もすべての地区がマイナスではなく、グリューンフフェとアルトシュタットはプラスの数字となっている(2001年から2013年)。

失業率は2013年までの数字と古いが一貫して10%以上であり、2013年も12.5%と高い。ドイツ全体での数字は5.2%なので経済的には厳しいことが推察される。その割には人口減少が少ないどころか、最近では増加傾向にあるのは興味深い。観光客数の推移をみると、この10年ちょっとで2倍弱ほど増えている。観光業は比較的、順調に増加していると考えられる。

シュトラールズントで興味深いのは、シュタットウンバウ・オスト・プログラムが施行された2002年以降も、市域全体の住宅供給数は減っておらず、1999年から緩やかに増加さえしていることである。8地区で2004年から2013年まで住宅供給数が減ったのは、フランケン地区の-37とプラッテンバウ団地のグリューンフフェの-519のみである。もう一つのプラッテンバウ団地であるクニーパー地区はこの期間で135とむしろ住宅戸数が増えている。

2002年から2013年までの同市の空き家率の推移をみると、2004年から2008年まで徐々に高まっていき、2008年の13.6% をピークに以後は急速に減少し、2013年には5.7%まで落ち着く。地区別にみると、2004年で最も空き家率が高かったのはアルトシュタットの29.3%。これはプラッテンバウ団地のグリューンフフェの14.5%よりはるかに高い。もう一方のプラッテンバウ団地のクニーパー地区はなんと5.8%と全市のどの地区よりも空き家率は低い。このようにプラッテンバウ団地が2004年でこれだけ空き家率が低い事例は極めて珍しいのではないかと考えられる。

シュタットウンバウ・オスト・プログラムに関してだが、対象となったのは8地区のうちアルトシュタット、プラッテンバウ団地のグリューンフフェ地区、クニーパー地区、そしてファンケン地区である。アルトシュタットとファンケン地区は改修事業が行われ、後者はソーシャル・シュタット・プログラムの対象にもなった。グリューンフフェ地区はシュタットウンバウ・オスト・プログラムの撤去・改修事業、そしてソーシャル・シュタット・プログラムの対象にもなった。同地区は、このプログラムで643戸数を撤去している。同地区は2005年に21.3%という高い空き家率に達するが、大幅な撤去によって、それは2013年には11.9%にまで低下している。クニーパー地区もシュタットウンバウ・オスト・プログラムの撤去・改修事業の対象となったが、2006年に22戸、そして2011年と2013年に64戸と計150戸しか撤去されなかった。それにも関わらず、空き家率は2013年には5%にまで減少している。

旧東ドイツの都市で、シュタットウンバウ・オスト・プログラムにそれほど依存せずに、空き家率の低減、人口減少の反転を行えた興味深い事例であると考えられる。
